主夫ポン吉、徒然なるままに

20年以上前から主夫をしているポン吉の備忘録のようなブログ。

車検を断念し23年乗った愛車を廃車

愛車を新車で購入してから23年になる。

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乗り始めてから5年ぐらいまでは車検に出してもほとんど修理するところもなかったのでだいたい基本料金で済んでいた。

新車から10年ほどで不具合発生

しかし10年ほど経つと電気系統の不具合が起き始めた。

まず初めに異変が発生したのはトラクションコントロールOFFというランプが常時点灯するようになった。修理工場の人によると、この不具合はよく発生しているがトラクションコントロールがOFFになっていても通常走行に問題はないし車検も通るのでそのままにしておいた。

しかしある夜、娘を駅まで迎えに行って駅のターミナルで車のエンジンを切って娘の到着をしばらく待っている時に問題が発生した。娘が駅の改札口を出てきたので一緒に車に乗って帰宅しようと車のエンジンをかけてアクセルを踏み込んで発進しようとしたらエンジンがストップした。何が起こったのか訳がわからなかった。再びエンジンをかけようとしてもセルモーターがうまく回転しない。これはバッテリー上がりの症状だと思った。エンジンは全く動く気配がなかったので、仕方なく自動車保険会社に電話したらすぐにレスキューを手配してくれた。しばらくすると駅のターミナルに車1台を載せることができるトラックでレスキューが来てくれた。すぐにレスキューの車とバッテリーを直結してジャンプスタートを試みた。するとエンジンはすぐに動き始めた。レスキューの人にお礼を言って、任務が完了したレスキューの人がトラックに乗り込み現場を離れようとした、その瞬間に再びエンジンが停止した。するとレスキューの人がトラックから降りてきて不具合のある車のエンジンルームを再度点検し始めた。エンジンが回転しているにもかかわらずバッテリーが上がるのはオルタネーターという発電機に不具合がある可能性が高いと言われた。夜ということもありどこの修理工場も受け入れてもらえなかったので、結局そのトラックに車を載せて娘と私はトラックの助手席に乗って自宅まで送り届けてもらった。翌日、車を修理に出したが正規品のオルタネーターはずいぶんと値が張るのでリビルト品という中古品で修理してもらった。そのリビルト品のオルタネーターはその後10年ほどしても何の問題もなく働いてくれた。

新車から15年すると

愛車はワゴン車だったのだが後部ドアを上に向けて開けっぱなしにすることができなくなった。後部ドアを上に開けても手でおさえていないとすぐにドアが下に降りてきてしまうようになった。この不具合は修理しなくても車検は通るそうだが、さすがに荷物を出し入れする時に不便なので修理してもらうことにした。

エアコンも効かなくなったが、エアコンの修理には結構お金がかかるようだったので、新しくガスを入れなおすことで対処してみた。1シーズンでガスが抜けるかもしれないと修理工場の人には言われていたが、2シーズン経ってもエアコンは快適に働いてくれていた。

マフラーの中にある触媒が焼け切れていてガラガラと音が鳴り始めたが、修理するのに部品代だけで50万円ほどすると言われたので、修理するかどうか悩んでいると修理工場の人が修理しなくても車検は通ると言ってくれたので修理はせずに乗り続けることにした。マフラーに穴が開いているわけではないので音がうるさいわけでもなく走行には問題なかった。

新車から20年を過ぎると

車の中の天井の内張がボデイから剥離して垂れてくるようになった。これは内張の接着剤が経年劣化したためだと修理工場で言われた。ただこれは画鋲のようなものでうまく内張を固定することができたし、家族が乗っても内張の異変に気付くことはなかった。たしかに車に乗って天井を見上げる人は少ないのかもしれない。しかしこの頃になると車検時に足まわりの部品交換が多発するようになり、車検費用が総額で50万ほどするようになった。家族の思い出の詰まった車だったので修理して乗ることができる間は乗り続けようと思っていたので多少の出費は我慢することにした。愛車の内装は20年前のままなので非常にシンプルでナビやドライブレコーダーは当然装備していない。オーディオもラジオとカセットテープでしか聴けないので20年以上前のヒット曲をテープで聴いていた。余計な電装品がないのでバッテリー交換はいつも自分でやっていた。修理工場でやってもらう半分以下の値段で済んでいたと思う。

23年が経過して

今回の車検は何も問題がありませんようにと、今まで毎回、祈ってきたが、今回はさすがに状況が厳しかった。様々な不具合が連鎖するように発生して、修理するための部品代だけで100万円ほどかかると修理工場から言われた。現時点では愛車は問題なく走行できるのだが車検を通すためには修理が必要不可欠だった。修理するかどうか悩んだが冷静に考えて、子供も大きくなってみんな別々に行動するようになって車で一緒に移動することはなくなった。今では1年に数えるほどしか乗らないので、たまに乗ろうとするとバッテリーが自然放電してエンジンがかからないこともあった。新車購入から20年以上経っているし走行距離は既に10万キロを超えている、そんな車に100万円以上つぎ込んで修理しようとするのは合理性に欠けるのかもしれないが、修理すればまだ乗れる思い出の詰まった愛車を手放すのは、今までさんざんお世話になっておきながら、用が済んだからと言って見捨てるような気がして非常に悩んだ。ただ我が家はスーパーの特売品を狙って買い物するような庶民であるので、滅多に乗らない車にこれ以上お金をかけるわけにはいかなかった。だから断腸の思いで修理を断念することにした。

廃車処分

修理をしないということは車検が通らないので、愛車を手放すことになる。新しく車を買うのならその際に下取りしてもらえばいいのだろうけど、ここ数年はそれほど車の必要性を感じてなかったので、しばらくは車がない生活をしてみようと思った。だから愛車を処分しなければいけなくなった。現時点で車をみてもらっている修理工場ならそのまま無料で引き取ってくれると言われたのでお願いしようかと思ったが、家族のみんなも愛車との最後のお別れに一度ドライブしようということになったので一旦修理工場から車を引き揚げることにした。

廃車についていろいろ調べると、それまで廃車にはお金がかかると思っていたのだが、どうやら廃車にする車でもまだまだ部品などには価値があったりするので、お金を支払うどころかお金をいただくことができるようだ。我が家の愛車も家族で温泉旅行に行ける程度の値が付いた。値段もさることながら今まで一緒に年月を過ごしてきた愛車がそのままのかたちではないかもしれないが生き続けるような気がした。

廃車当日は印鑑証明と実印を用意して待っていた。車1台をそのまま載せることができるトラックで作業員がやってきた。作業員が持ってきた簡単な書類に署名捺印すると、現金と引き換えに愛車のキーを渡した。作業員は早速愛車をトラックに載せ始めた。23年間ともに過ごしてきた愛車がトラックに完全に固定されると、作業員が最後に私に挨拶してトラックに乗り込んだ。そして愛車はトラックに載せられて我が家から旅立って行った。23年間ご苦労様、ありがとうという気持ちで愛車が見えなくなるまでその姿を見送った。

ちなみに

車を買い替える場合でも下取り価格よりも廃車買取価格のほうが高額になることもあるし、中古車買取よりも廃車買取のほうが高額の場合もあるようだ。廃車買取は車検切れで公道を走れない車や事故で動かなくなった車でも無料で引き取り買い取ってくれる業者もある。だから廃車目的でなくても愛車を手放す場合は廃車買取業者も候補の一つとして検討してみるのもいいように感じた。