主夫ポン吉、徒然なるままに

20年以上前から主夫をしているポン吉の備忘録のようなブログ。

20世紀以降最大の出生率減少、意外な原因とは。

子供の頃、ポン吉の育った町では、一つの公立小学校に1000人以上の生徒がいるのは当たり前だったので、1学年に少なくとも5クラスはあった。

中学になると二つくらいの小学校の生徒がが一つの中学校に集まるので、1学年は小学校の2倍近くになっていた。

高校になるとさすがに全員が進学するわけではなかったし、私立高校もあったので、中学の倍にはならなかった。

とは言ってもポン吉の通っていた公立高校は1学年に500人以上いて12クラスあった。

そして大学へと進むわけだが、その前に大きな異変に気づいた者がポン吉の周りに結構いた。

それは、常にある一つの学年だけがいつも1クラスか2クラスほど少なくて、明らかに生徒数も少なかった。

その現象は小学校から中学まで続いたが、何故か高校では解消されていた。

原因はすぐに判明した。

20世紀最大の出生率減少

f:id:syuhuponkichi:20170923154526j:plain

1966年(昭和41年)に生まれた人の数が前後の年に比べて25%以上も少ないのだ。

これは20世紀最大の出生率減少だった。

ポン吉がかよった小学校と中学校は公立校だったので出生数に比例して生徒数も増減していた。

ポン吉は高校も公立だったけれど、1966年度生まれの生徒数は前後の学年と変らなかった。

その年の受験者数が前年に比べて4分の3に減っているのに、合格者数は前年のままだったので当然ながら競争倍率は下がったはずだ。

ポン吉の学生時代は、大学受験で浪人している人は珍しくなかった。

むしろ一浪を「いちろう」ではなく「ひとなみ」と言っている人も多かった。

そのために、1966年より前に生まれた世代の中には、現役で合格できる大学に進むより浪人して受験者数の少ない年代で受験してワンランク上の大学を目指す者もいた。

科学より迷信

この急激な出生数の減少は、迷信の影響が原因だった。

1966年(昭和41年)は「丙午(ひのえうま)」だった。

丙午とは干支(えと)の一つで、陰陽五行では丙も午も「火」をあらわし、丙午の年は火の災いが多いとされてきた。

そして江戸時代に放火して火あぶりにされた八百屋お七が丙午の生まれだったということから、「丙午生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮める」という迷信になり、丙午生まれの女性に対するネガティブイメージを植え付けた。

しかし、江戸時代ならともかく、それから300年ほど経った1966年に子供を出産することをためらったというのは俄かには信じがたい。

当時はすでにソビエトのユーリ・ガガーリンが人類初の宇宙飛行に成功し、アメリカはアポロ計画の真っ最中だった。

日本では1964年(昭和39年)に東京オリンピックが開催されたばかりだ。

そのような未来志向の時代にどうして科学的根拠のない迷信を信じたのだろう。

迷信はマスメディアにのりやすい

丙午は干支の一つなので定年周期でやって来る。

その周期は60年に一度だ。

なので1966年の前に丙午の年だったのは1906年(明治38年)なのだが、この年もたしかに前年よりは出生数は減少しているが、それはわずか4%にすぎない。

まだ科学より迷信を信じやすい時代のほうが丙午を意識して出産を控える人が少なかったようだ。

1966年に丙午が出産適齢期の夫婦に意識されたのは、時代の流れに大きく影響していると思われる。

それは、戦後日本の三種の神器と言われた物の一つであるテレビの影響が大きい。

昭和30年代はテレビが一般家庭に普及し始めた頃だ。

今でもテレビで迷信や都市伝説を取り上げる番組は結構あるのだから、昭和30年代にもそういう番組があってもおかしくない。

それに当時のテレビの視聴率は現在と比べ物にならないくらい高かった。

友達との話題は前日のテレビ番組に関するものなしには始まらなかった。

そのため1966年を前にマスコミで丙午に関する特集などで、丙午生まれの女性に関して日本中にマイナスイメージが広まったようだ。

だから科学的根拠のない迷信を信じたというよりも、マイナスイメージのある丙午の年にわざわざ我が子を出産するということを避けたのだろう。

丙午の悪いイメージを気にして前年比25%以上も出生数が減少したのだから、4組のうち少なくとも1組の夫婦は1966年の一年間は子供を作らないと決めたことになる。

次に丙午の年が来るのは2026年だから、さすがに丙午の迷信を気にして出産を控える人はいないだろう。

いや、でも、今なお結婚式の日程に仏滅を避ける人は結構いるようなので、

もしかするとまたもや丙午に関する悪い情報が新たに出てきて出生数に影響を与える事態にならないとは言えない。