人生の設計図
学生時代の夏休みにリゾート地の泊まり込みのアルバイトをしたことがある。
リゾート地の別荘が建ち並ぶ一角にあるレストランでウェイターとして働いた。
仕事がない日は、テニスをしたり、BBQをしたりして、まさにのんきな学生生活を謳歌していた。
目的をもって生きてる人は違う
バイトが終わって食事をしていると、衝撃的なニュースがテレビで報じられた。
乗客数百人を乗せた日本航空機が墜落したらしいと、どこのテレビ局も大騒ぎだった。
ポン吉は凄いことになったと驚いていた。
しかし、ポン吉と共にリゾート地にバイトに来ていた友人の反応は違った。
すぐに、東京の自宅の母親に電話をして、その事故以降の大手の新聞社の朝夕刊を全て購入して保存しておくように指示を出していた。
ポン吉はその事故に対して驚くだけで、ただテレビを見ている傍観者にすぎなかった。
しかしポン吉の友人は、この事故は20世紀の歴史に残る事故なので、その際の政府や監督官庁の対応がどうだったかということは、必ず後々話題に上がることになる。だから、できるだけこの事故に関する情報を把握しておきたいと言うのだ。
その話を聞いた瞬間、ポン吉は恥ずかしくなった。
ただテレビから流れてくるニュースを見ているだけのポン吉と比べると、彼はそのニュースの先にあるものを見ているようだった。
まるで、子供と大人の違いのように感じた。
彼は自分の人生設計図をしっかりと持っていた。
彼はポン吉によく自分の人生設計に関して話をしてくることがあった。
彼は兵庫県にある難関のN中学に入学し、そのままN高校へ進み、そして東京のT大法学部に入学していた。
ここまでの彼の経歴は彼の設計図どおり進んでいいた。
その後の設計図では、
大学在学中に司法試験に合格する。ただし法曹界に進むつもりはない。彼は国家公務員試験に合格して官僚になる予定だった。
設計図は一つだけではない
しかし彼は夏休みのバイトを終えてからもポン吉とバブル真っ盛りの大都会ではしゃぎまわっていた。
彼はいわゆる大学デビューという状況だったように思う。中学・高校を男子校で勉強一筋に過ごしてきて、大学生になっていきなり女性が周りに現れた。
しかもそれがバブルど真ん中の時期に重なっていたんだから言わずもがなだ。
結局彼の人生設計図は変更を余儀なくされた。
彼は司法試験には合格しなかった。
しかし、国家公務員試験には見事に合格し、ある省庁に入省した。
彼はエリート官僚になった。
社会人になってから彼に会っても、やはり彼はちゃんと設計図を持っていた。
ポン吉などは新入社員の頃、日々右往左往するばかりだったというのに。
彼は、自分の状況別に何パターンかの設計図を持っていた。
あまり望まないが官僚としてうまくいきそうもない場合は、議員になることもオプションとして考えていた。彼の言っている議員とは国会議員のことだ。
彼の理想の設計図に描かれている最終到達点は事務次官だった。
だからそれ以外の道は脱落者の道であるというようなことだった。
ポン吉が一番記憶に残っている彼の設計図、
それは「最悪でも副知事にはなれる」というものだった。
競争社会
今、衆議院選挙のことで世間は騒がしいが、今回の選挙でもやはり官僚を辞めて国会議員に立候補する人がいる。
幸いかどうかわからないが、彼はまだ官僚のままだ。
彼は小さい頃からずっと自分の設計図を完成させるために、競争に明け暮れる日々を送ってきた。
しかも大人の社会は試験の点数のように評価基準が目に見えることは少ないのだから、今の彼はさぞかし権謀術数に長けていることだろう。
専業主夫のポン吉など彼の足元にも及ばないはずだ。
だからこそまだ生き延びているのだと思う。まだ彼にはチャンスがある。
目標や夢に向かって努力し続けることは難しいし凄いことだと思う。
しかし、現在の選挙情勢で野党の動きを見ていると、自分の設計図を実現させるために夢を捨てているようにも感じる。
設計図が完成した時に自分自身が本当に納得できればいいのだが、仏つくって魂入れずになってしまわないことを願うしかない。