専業主夫になった理由
現在、ポン吉は専業主夫をしております。
主夫になって、もうかれこれ20年ほどになります。
DINKS(Double Income No Kids)
大学を卒業後、新卒で入社した会社に10年ほど勤めていました。
ポン吉の奥さんも同様に仕事をしておりました。
夫婦ともに学生時代にバブルを経験し、結婚してからもしばらくはDINKS(ダブルインカムノーキッズ)で自分のことだけを考えていた生活でした。
しかしある日、奥さんが妊娠しました。
第一子出産
もともと子供をつくらないと決めていた訳でもないので、夫婦で働きながら育てようと決めました。
奥さんは産休だけで育児休暇を取りませんでした。
というか、女性総合職だったので取得し難かったというのが正直なところのようです。
今から20年ほど前には男性が育児休暇を取るという発想は微塵もなかったので、ポン吉が休暇を取ることはありませんでした。
子供は奥さんが見つけてきた無認可の保育所に夜の8時まで預かってもらっていました。
夫婦が交代で子供を迎えに行きました。
夜8時にポン吉が迎えに行くと息子は嬉々として喜んで、二人で他に誰もいない夜の公園でよく遊んでいました。
しかし奥さんもポン吉も夜8時までに迎えに行くことはなかなかできず、ほとんどのお迎えはベビーシッターにお願いしていました。
第二子出産
第一子から2年後に第ニ子を計画通りに奥さんは出産しました。
この時も奥さんとポン吉は育児休暇を取りませんでした。
第一子は認可の保育園に第ニ子は無認可の保育園に預かっていただきました。
自転車の前と後ろに子供二人を乗せて別々の保育園を行き来していました。
ただ、どちらの保育園も夕方6時まででしたので、
奥さんもポン吉もほとんど迎えに行くことはできませんでした。
ですのでベビーシッターに夕方6時に迎えに行っていただき、夜の12時過ぎまで家にいてもらいました。
この頃になるとベビーシッターの方とも親しくなり、ほとんど専属のような感じでお世話になっていましたので、随分とご無理を聞いてもらい助けていただきました。
奥さんはベビーシッターのスケジュールをひと月先くらいまでは把握していたと思います。
小学校という大きな壁
第一子が小学校入学まであと一年という段階で、奥さんもポン吉も今のままの生活では子育てが難しいと考えるようになりました。
子供が保育園に通っている間は、親の都合で子供の生活空間をある程度限定していましたが、小学生になると友達など子供同士の付き合いや、やりたいスポーツや習い事ができてきて、それをベビーシッターでフォローしてもらうのは無理だろうと思ったからです。
子供と一緒にいてあげたい
それと、ある日、ポン吉が会社に行くため自宅を出ようとした時に子供が「お父さん、今からおうちに帰るの?」と言ってきたことがありました。
子供にとって奥さんとポン吉は、保育園の先生やベビーシッターよりも一緒にいる時間が少ない存在だったことを痛感させられました。
奥さんとポン吉は夫婦どちらかが子育てに専念することに決めました。
家計的にはダブルインカムではなくなるので不安もありましたが、そもそも保育園の費用やベビーシッターに毎日6時間以上もお世話になっていたのと、シッターさんの深夜帰宅のタクシー代など、トータルで年間数百万円かかっていました。ポン吉の給料の半分以上は子供の保育関係に注がれていました。
ですのでポン吉が仕事を辞めてもそれほど経済的なダメージはないと思いました。
それよりもむしろ、親子が一緒にいられるかけがえのない時間が手に入ることの喜びのほうが大きかったです。
そういう訳で、ポン吉が子供の小学校入学にあわせて退職し、専業主夫となったのです。